カールの曲がった地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

東京散歩(2)~三鷹には太宰治の墓や山本有三記念館などがあります

2015/11/21 土曜日 曇り

用事で三鷹にきたので、用事の後で駅周辺を散策しました。この近辺は文豪太宰治が暮らした場所であって、彼にちなんだ場所が数多くあります。(太宰治散歩マップ|三鷹の観光スポット


15時散策開始。日没まで1時間半しかないし、曇りで散歩日和とは言えませんが、彼の作品にシンパシーを感じる僕としては、やっと来れたと気持ちが昂ぶりました。

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まずは駅前から南にのびる中央通を歩いていきます。道路の傍らには、様々な文学関係の記念碑が立っています。赤とんぼの碑を過ぎてさくら通との交差点を少し入ったところが、太宰が「斜陽」を執筆した田辺肉屋があった場所だそうです。

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さらに中央通を南に進みコミュニティセンターで右折すると禅林寺があります。ここに太宰の墓があります。夕暮れ時の静かな墓地で心が落ち着きました。太宰の命日(正確には遺体発見日)の6月19日には多くのファンが参詣に訪れるとのことです。


また、太宰の墓に向かって森鴎外の墓もあります。禅林寺は参詣は自由ですが日没までとなっています。

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禅林寺の隣が八幡大神社です。入り口の立て札に「三鷹の由来」の説明があり興味深いです。以下は意訳です↓

江戸本郷から出火した大火により江戸の町は被害を受けた。幕府は被災地を整備するために、住民を再び住まわせず、代替地を与えて農民となることを奨励した。このようにして引っ越してきた人々が三鷹の集落の始まりである。この辺りの武蔵野は、徳川御三家の「御鷹場」であった。これが三鷹の由来である。

再び中央通まで戻り、今度は仲町通で折れて東に歩きます。仲町商店街が続きますが、交通量が多く散歩向きの道とは言えない印象でした。平和通を左折します。


平和通は比較的道幅が狭くてゆったりと散歩ができる道でした。道沿いには、純和風数奇屋造りのみたか井心亭(せいしんてい)があります。その向かいが太宰の住居があった場所だとのことです。当時の面影は全くありませんが、太宰も使ったであろう共同井戸の跡がまだ残っているとのことです(が、発見できませんでした)。また、住居前に植えられていた百日紅さるすべり)は井心亭に移植されています。

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平和通をさらに進むと玉川上水にぶつかります。多摩川から四谷まで水を運ぶ玉川上水のこの辺りで、太宰は愛人と入水自殺を遂げました。現在の玉川上水は水位が低く入水自殺なんかとてもできないように思いますが、案内板の写真を見ると過去にはかなりの水量があったことが分かります。

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玉川上水を少し下ると三鷹市山本有三記念館があります。昭和の文学者山本有三邸を利用した記念館で、門の前には氏の作品にちなんだ「路傍の石」が置かれています。記念館の裏は静かな庭園となっており、東屋があり、小川が流れています。


すっかり日が暮れてしまいました。玉川上水に沿って歩いて三鷹駅に戻りました。散歩時間は2時間弱でした。