カールの曲がった地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

人間の理性と感情について

人間が他の動物と大きく異なっている点として、理性を持つことが挙げられる。

理性
感情に動かされたりしないで、論理的に考えをまとめたり、物事を判断したりする頭の働き。(辞書より)

人間以外の動物は本能のままに行動するが、人間においては本能や感情だけではなく、本能や感情に流されずに客観的な認識や判断をすることができる、とされている。


これは僕にはとても不思議に思われる。「理性とは一体何なのか?」「なぜ人間だけが理性を獲得したのか?」「どのようにして人間は理性を獲得したのか?」「理性によって何が可能となるのか?」「それにはどのような意味があるのか?」といった問いは追求し甲斐のある問いだと考える。(しかし今はわき道に逸れずに話を続けたい。)


人間は、理性によって、個人的な感情を離れて客観的な事実や価値によって行動することができる。例えば、他人と争う際に暴力で解決するのではなく、証拠を挙げて順序だてて説明することで相手を説得するし、感情的にはやりきれないと感じる場合でも社会通念には従うことができる。これらは理性の効能である。


客観的な事実や価値を樹立することは、多くの人が共通の価値観を持つことが可能になるということであり、多種多様な人間が共存していく中で必要なことだったのだろう。とすると、人間にとって理性は社会を高度化するために必要な能力だったと考えられる。


一方で、確かにこの理性という能力は素晴らしい能力だとは思うが、理性への讃美が行き過ぎると、時に本能や感情、衝動を否定する方向性が現れることがある。つまり、本能や感情、衝動は動物的なものであり、野蛮で未熟なものを意味することになる。そして、これを上手に手なずけ乗りこなすために理性があると考えられることになる。極端な場合には、動物的本能的な欲望を捨て去ることが、人間としての完全性を意味することになる。


しかし、果たしてそのようなことがそもそも可能だろうか?また、本当に理性は感情をコントロールするためのものなのだろうか?


僕は否と主張したい。別に根拠があるわけではないが、その方が僕の実感としては合っている。


例えば、時に人間は、感情をコントロールするためではなく、むしろ感情を正当化するために(一見すると)客観的な思考を行うように思われる。また、時に人間は、感情的にやりきれないときに、客観的な思考によって感情をコントロールするのではなく、むしろ感情がやりきれないがゆえに(一見すると)客観的な思考を行う場合があるように思われる。


一例を挙げると、やらなければならないが感情的にはどうもやる気がでない仕事に対して、色々と理由を考えてやらないことを正当化しないだろうか。ここではやりたくないという感情がまず根底にあり、それを客観的に裏付けようとして思考が働いている。


また、起こって欲しくないある事件が起こったとする。このとき、何か理由を作り上げ、事故は仕方なかった(あるいは、特定の行動が悪かった)と考えないだろうか。


また、とても素晴らしいことがあった(例えば何かのオファーを受けたり、表彰されたり)ときに、本当は偶然の要素がたくさんあるにもかかわらず、色々と客観的に思える理由を並べてそれは必然だったと考えないだろうか。


このような現象から僕が主張したいことは、まず人間の思考の根底には感情があるということ。そして、人間の理性は感情の支配下にあるものであるということだ。


理性は決して人間にとって本質的なものではないと思う。それは客観的な認識や判断をする能力であるがゆえに、むしろ人間だけに特定されない普遍性を持つものだともいえる(言い換えると、理性と人間性は無関係)。とすると、理性の追求は、人間性を高めるどころか、むしろ人間性を失わせるものだという論理も成り立つのではないだろうか。


人間も動物の一員として様々の本能的な欲求や感情がある。そして生命体の立場としては、別に認識や判断が客観的でなくとも、欲求が満たされればそれでオーケーなはずだ。仮に完全に客観的な理性というものがあったとして、それは定義より各個体の特別な性質や状況とは無関係のもののはずだ。すると、客観的な理性は生命の欲求(究極的には生存の欲求)に何ら影響を与えないから、生命としてはその能力を持つ意味が全くないことになる(ここは暴論)。


最後に書きたかったこと。最近企てていることは、

人間にとってより根本的なものは、理性ではなく感情である。

という命題を念頭において人間の存在を考え直してみることだ。動物でも感情はあると思うが、人間についてはとりわけその種類が豊富で複雑ではないかと思う。怒り、悲しみ、同情、憐れみ、嫉妬、恨み、喜び、愛、虚栄、羞恥、劣等感、孤独、安心、楽しい、美しい…多種多様な感情が一体どういうものか、どうして生じたのか等は興味あるところだ。また、これらの感情と理性との関係も再考してみる必要がある。