カールの曲がった地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

祖父を偲んで

先日祖父の七回忌が済んだ。集まったのは妻である祖母と子供3人、その配偶者、そして孫9人だった。晴天のすがすがしい日だった。墓参りをしながら、もう丸六年が経ったのかとしみじみと思った。あっという間だった。


そうして周囲を眺めると、母や叔父さんらがずいぶん老けて縮んだこと、小さかった従兄弟がいつの間にか青年になっていたこと、一方で祖母が悲しみから立ち直り格段に元気になっていることに改めて気づくのだった。


いずれにせよ、最近は親族で集まる機会が滅多にないので、顔を合わせる良い機会だった。

当時を振り返る

訃報を受けたとき、僕は大学院生で、1年目の終わりが目前の冬だった。ある日眠りから覚めると母親からメールが届いていた。「おじいちゃんが昨晩なくなりました。時間ができたら電話ください」。受話器の向こうで母親は泣いていた。「ついにこの日がきたのか」と思った。涙は出なかった。どことない非現実を感じつつ、直ぐに帰省の準備に取り掛かった。


祖母の家に着いた。布団にはもう起きることのない祖父の姿。死後なのに血色はよく、表情も穏やかで、安らかに逝ったようだった。


祖父は晩年痴呆症に罹り、最後の数年間はほとんど意識を喪失した状態だった。それがちょうど死ぬ晩、どうしてかいつもとは違ったはっきりとした様子で、祖母に向かって「お前でよかったよ」と言ったそうだ。祖母は、なんで?、と思ったらしいが、まさかそれが最期の晩だとは思わなかったといった。それにしても案外自分の死期というのは自分で分かるものなのかもしれない。


葬式を終えても僕は涙一つ流すことができなかった。まだ現実感がないからだろうと納得させていたのだが、ついに今になっても流さず仕舞いだ。

祖父の思い出

適当に思いつく順に書いてみる。


まず全体的な性格を書く。祖父は物静かな落ち着いた人だった。決して内気というわけではない。庭の手入れや、新聞を読んだりといった作業を黙々と熱心にこなすような人だった。強靭で我慢強い人だった。普段は物静かなのに怒るときは大声で怒鳴るものだから、よほど恐かった。


幼い頃は成績優秀、品行方正な学生だったという。豆腐屋の長男だったが、店を継がず、親に頼んで大学に進学した。大学では経済学を学んだ。銀行に就職したかったが、豆腐屋の子ということで採用されなかった。それで高校教師をしながら、そろばん教室を運営し、また投資で儲けた。新聞で銘柄の小さな文字を調べている姿を思い出す。


祖父は庭弄りが好きだった。暑い中作業着に身を包んで、麦藁帽子を被り、裏庭で草むしりや剪定などを一日中やっていた。蜂にさされた腕をさすりながら、眉間に皺を寄せながら「いてぇ」とはにかんだ様に笑う姿が思い浮かぶ。また、白いノースリーブでダイニングでアイスバーを食べながら休憩している姿が浮かぶ。甘いものが好きな人であった。


母親が幼い頃、祖父の部屋の机の引き出しに大人買いにされた大量のチョコレートを見つけた。甘いものが好きな祖父は、チョコレートを書斎の机の引き出しに隠し持っていたのである。祖父は一枚挙げるから黙っていろとはにかみながら母に言ったという。チョコレートに関して、祖父が子供の頃、近所に米軍がやってきた際に、荷物持ちをすることになり、そのときに米兵からチョコレートをもらいあまりの美味しさに感動したという。


また、祖父は旅行が好きな人だった。足腰の弱くなった曾祖父を負ぶって日本各地を巡った。また祖母とも遠出をした。居間に旅行先の各地の写真がずらりと掛けてある。写っているのは風景と祖母だけで、本人は一枚も写っていない。それにしても北から南まで、よく行ったものだと思う。


生前(呆けでも)祖父が最も好んで話していたエピソード。叔父が京都の大学に入学する際、叔父の布団を車の屋根にくくりつけて京都まで走っていったという。その布団を載せた車の横に、あるとき派手な真っ赤のスポーツカーが近づき、隣を走行した。なんでかな、と思いスポーツカーの中を覗くと、同僚の気障な英語教師が乗っていた。たまたま路上で遭遇したものらしい。そして次の瞬間、スポーツカーは一瞬で加速し、遠くへ見えなくなったという…。

祖父から受け継がれた資質

僕は元来適当な人間なので、厳格な、そして模範的な人間とされていた祖父に対して畏怖の念を抱いていた。なるべく話さないで済まそうとしたから、あまりたくさんは話したことはなかった。大学の学費を借金しに祖父の所へ行き、小切手を書きながら近況を話していると、いっそ借りずに逃げ出したい気持によくなったものだ。


今だったら、もっと気楽に色々話せるのになと思ったりする。それほどまでに僕はもはや厳格さとか模範とかを諦めてしまったのである。こう開き直ることができるようになったのも、一つの進歩であると、僕は最近思っている。


それにしても祖父は本当はいったいどんな人間だったのだろうか?上のエピソードは多くが又聞きであり、外見の観察であり、また本人の昔話である。いまでこそ自分の手で調べたいと思えるのだが、その研究対象がすでにこの世にないことが本当に残念だ。


最期に、遺伝的な意味、あるいは環境的な意味で、親族と自分は何かの共通点があると感じている。もっとはっきり言うと、親や祖父の性格の一部を引き継いでいるという実感がある。それは祖父の真面目さや、また別の祖父の快楽的なところや、曽祖父の物作りの器用さや、母親の支離滅裂さや、父の短気で感情的なところなどであり、皆なんらかの形で自分に影響を及ぼしているのではないか、と考えている。


つまり、親族と全く切り離して自分と言うものは考えられないということだ。