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タケウチCarlの地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

タイムカプセルを開けてきました

中学校を卒業するときに、校庭の隅にタイムカプセルを埋めた。卒業から15年経った30歳のときに、掘り起こすことになっていた。タイムカプセルのことは、卒業後もふと思い出しては、開封することへの期待と焦りを感じていた。焦り、それは成人が近づいてくるときに感じるような、いたずらに歳をとっていくことへの焦りのようだった。また、まるで何かの締め切りがやってくるような、そしてその時点までに何かをしなくてはならないような、そんな焦りだった。

15年の年月は過ぎ去ってみればあっという間だった。ついにタイムカプセルを開封する日が来た。

学校へ

集合時間よりも30分程早く地元の駅へと着き、学校へと歩いた。少し風の強い日だった。同じ道を同じ方向に歩く、同級生っぽい人たちを見かけたが、知った顔でなかったので一人で歩いた。一学年300人いるので、顔すら知らない人も結構いるのだ。

正門が遠くに見える頃には、賑やかな声がだいぶ聞こえてきた。正門入ってすぐの場所に、皆たむろして話していた。まずは今でもよく会う友達を探してあれこれ話して、それからは友達を探しては少しずつ話した。懐かしいという気持ちに満たされた。一人ひとりにそれぞれの15年間があったのだ、と思うとなんだか不思議な気分になった。

そういえば学校は苦手な空間だった

定刻になりまずは体育館へと移動して集会をした。当時の先生方も来られていた。先生方がスピーチに中で当時の細かい出来事に言及するのを聞いて、よく覚えているものだと驚いた。

ところで、演壇でかしこまった人々を眺めていると、長らく忘れていた「学校という空間は苦手だった」という気持ちが、心の奥底から段々と湧き起こってくることに気づいて、どぎまぎしてしまった。

その嫌悪感の理由は、多くは僕の反社会性に由来しているが、学校自体の胡散臭さもある。例えば、アメとムチによって、または苦難を一致団結して乗り切った充実感によって、または恣意的な感動によって、生徒を統率し支配しようとするところだ。

先生も「先生という立場」をわきまえて行動しているだけだと割り切ればいいのかもしれないが、なんだか、信用のおけない、胡散臭い、距離のとりづらい人物だと感じてしまうのだ。先生方は実際いい人であるかもしれないが、偽善者だという思いはたぶん永遠に払拭できないだろうと思う。

自分への手紙

集会の後は、クラスごとに教室へと移動して、タイムカプセルに眠っていた自分への手紙を受け取った。封を切る前から内容は覚えているつもりだったので、その内容の恥ずかしさから、なかなか読みはじめることができなかったのだが、実際に読んでみると、覚えていたよりも一層酷い内容だった。

手紙に書いてあった内容には大きく分けて3つの要素があった。

  • これからの未来の出来事に対する不安
  • 自分のやりたい仕事ができているか。(ただ賃金のために働いていないか)
  • 他とは違う人生を歩んで欲しい。つまらない大人にならないで。

これらが、何の実例も具体性もなく、ただ標語のように書いてあるので、何の記憶も呼び起こさず、何の想像も掻き立てず、まったく面白味のない手紙だった。しかし、これこそは僕が今でも日々感じる現実感のなさと繋がっている気がして、背筋が凍った。自分の嫌なところを直接見たような気がしたからである。そもそも仕事とか当時は全く興味がなかったのに、なぜ書いてあるのだろうか、と思った。手紙の後半は無理やり終わりまで埋めたように読めるので、きっと書くことないけど必死で埋めたのだと思う。

他の人の手紙の内容を聞くと、当時の生活の様子とか、15年後の予想といった、想像力の豊かさを感じさせる内容だった。当時の何気ない生活や感覚こそ僕は書いて欲しかった、と当時の僕に言いたい。こういう何気ないものこそ、記憶の網からはどんどんこぼれ落ちていくのだ…。

友達はよいものだ

その後は近所の居酒屋で同窓会をした。ほとんどの友達は中学生以来の再開だから、一緒にお酒を飲むのは大体が初めてだ。知っている人も、知らない人も、もう関係なく大いに盛り上がった。当時と比べるとだいぶ社交的になったようだ。当時はあまり話せなかった人たちとも積極的に話しに行けたし、女性にも恥ずかしさなしに声をかけられるようになっていた。とにかく「素敵な人たちと知り合えて最高」という気分の一日でした。

昔からの友達は、利害関係がない関係だからとても貴重だ。昔からの友達は、減っていく一方で増えることはないからとても貴重だ。

最期に一つ、人に話しかける際に有用な考え方を書いておきたい。もし話しかけようとするときに「相手とあまり関わりないなー」とか「いい記憶がないなー」とか「話しかけると変かなー」とかその他いろいろな考えが浮かんで話しかけるのを躊躇させようとしてくるときには、そんなつまらない考えは全部忘れて、いっそのこと全くの初対面だと思って話しかればいい。情報や記憶はときに行動を起こす際に余計となるのである。

何も気にしないこと。全てがどうでもいいと思うこと。そう思った上で楽しむこと。これが大切だ。もし仮に自分の話が相手にとってつまらなかったからといって、それが一体なんだろう。万が一相手から無視されたり、拒絶されたりしたからといって、それが一体なんだろう。ただAということを言ったらBという反応をした、すなわちある機械的な入力に対してある機械的な出力が出た、ただそれだけに過ぎないすぎないのだから、そこに何かを気にしたり、自分を咎める要素は全くないはずだ。