十月二十八日土曜のことである。伊奈*1のバラ園で秋の薔薇を見て、隣の公園の雑木林を散歩していると、木の下にドングリが、ぶちまけたように散らばっている。紙風船のように丸々した、あまり見ない形のどんぐりだ。夢中で綺麗なものを選りすぐった。その様子を少し離れたところから妻の冷ややかな眼差しが眺めていた。
雑木林の別の所では、かなり球体に近いものや、弾丸のように細長いもの、銀杏くらいの小さなものなども見つかり、ポケットの中が賑やかになった。雑木林のそこかしこに宝物が落ちているような気がして、集めるたびに幸せな気分になった。
どんぐりはテレビの前の机の上の小皿の中に並べておいた。妻は、汚いから密封型のポリ袋に入れてと言ったが、ずいぶん味気ないことを言うと思い、しぶしぶ入れたのは拾ってから二、三日経ってからだった。
袋に入れてから数日経つとどんぐりに変化が現れた。水分が蒸発してしまったのか、表皮がパッカリ割れてしまった。緑色と黄色が微細に交じり合ってあんなに美しかった表面も、すっかり輝きを失ってしまった。自然物の生の美しさをそのまま手元に置いておくことの無理。
それからさらに十日ほど経って十一月の中旬になった。袋詰めのどんぐりはやはり皿の中にあったが、もう注意を向けられなくなっていた。ふと思い出して手に取ると、どんぐりの底部は黴に覆われて、外れた笠は風化したように崩れていた。ゴミ袋に捨てた。
以上で、久しぶりに童心に帰ったどんぐり拾いに関する顛末を語り終えたかに思えたが、まだ続きがある。
十一月二十三日の夜だった。どんぐりの入っていたあの皿の内側に、大豆ほどの大きさの白い塊があった。丸々した米俵のような表面の、顔だけがポツンと黒い芋虫だった。翌朝起きて見てみたら位置が変わっていた。
不思議なのは一体いつどのようにどんぐりから出てきたのかということ。どんぐりは先に書いたように、拾って数日後には袋に密封したのだから、皿に出てきたのはそれ以前ということになる。仮にそうだとして、餌も何もないのに約一か月ものあいだ生きて、目に見えるほど大きく育ったのも不思議なことだ。
僕も妻もあまり虫に愛着がないのでベランダから捨ててしまったが、一体どんな虫に変態するのだろうかと想像しながら育てることは、僕にもう少し童心があれば大変ワクワクすることのような気もした。
インターネットを見ていて実際に育てた人がいた。芋虫は一年間も土中で暮らし、成長して出てきたのはゾウムシだったとのことだ。