カールの曲がった地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

岡潔の思想について

【目次】

1.はじめに

 岡潔(おかきよし、1901-78)は大正・昭和期に活躍した日本の数学者で、多変数複素関数論の分野で当時未解決だった三つの難問を全て一人で解決するなど、顕著な功績をのこした人物です。奈良女子大学で教鞭をとる傍ら多くのエッセイを世に出し、また、一風変わった風貌や性格のために、今日もっとも世間に知られた数学者の一人といえます。

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 一流の数学者でありながら社会や人間に深い興味を持って洞察を凝らし、多数のエッセイを書き残した人物は珍しいと言えるのではないでしょうか。似た人物を思い浮かべると、物理学では寺田寅彦、数学者では遠山啓や小平邦彦、上野健爾などが近いのかもしれません。しかし岡潔の場合には、エッセイの内容が教育論を中心としていても、日本と西洋の文化や文明の比較とか、日本人の本来あるべき姿、道義、宗教といった、思想的な領域への広がりがあることを思うと、やや異端という感じを受けます。

 

 昨年のこと、図書館で偶然岡潔のエッセイを読んで大変面白かったので、氏の思想をここで簡単に紹介してみたい。『岡潔――数学を志す人に』(平凡社)というエッセイ集。薄い本だけれど、よく精選・配列してあって、岡潔の思想の全貌を垣間見た気がしました。

 

2.エッセイの紹介

『生命』

 『生命』(1965年、65才)には岡潔の思想がコンパクトに言い尽くされているように思う。岡は、人の心はそれぞれが異なる固有のメロディを持っていて、それが活き活きと鳴る者もいれば弱々しい者もおり、人の心の琴線の鳴り方は「情緒」と深く関係する、と言う。ここで出てきた「情緒」というのはあまり馴染みのない言葉だが、岡の思想を理解するためのカギであり、「非常に澄んでいて調和している心の状態」程度の意味です。

 さて、活き活きとしたメロディを鳴らすためには、一つには外部からの雑音を遮断することが大切であり、もう一つには、内部からの腐敗を防ぐことが大切だという。そのためには清浄なもの、美しいものを栄養として与えることが重要であり、具体的には、「道義を教えること」や「他人を喜ばせることを第一に考える心を育むこと」、加えて、「先人の残した文化など、色々なものの良さを教えること」としている。

 ところで、こうした人間像は確かに美しく、理想としては素晴らしいが、一体今の世の中でどこまで理解されうるだろうか。地域社会の結びつきは弱まって孤立し、能力主義が進んで他人をいかに出し抜くかが関心になる。社会の変化が激しく、日々魅力的な物事が現れるから、過去を振り返る必要もない。岡の主張は多くの人にとってもはや「わからない」ものになっているのではないか。

 「わかる」ということに対しての岡の考えかたもまた独特なものである。岡は、言葉でわかっても仕方がないのであり、対座しただけで気脈が相通じるようなのが本当のわかり方だと言う。また、言葉では言い表さないけれど実際に使うことができるのと、言葉ではわかるが使うことができないのとでは、天と地ほどの違いがある、とも言っている。これも、非常によく分かり、共感もするのだが、現代の世の中ではむしろ「言葉で言い表せないものは分かっていないものである」という考えが普通ではないだろうか。「わかる」ということについての社会通念を見直すきっかけになる、面白い考え方だと思う。

 最後に岡は、人が文化に同化してこそ、文化はその人のものになり、心のメロディも健やかになり喜びも強まる、と言っている。

 

『天と地』

 『天と地』(1964年、63才)では、「わかる」ということについて考えを深めている。まず、人が「有る」という感覚を持つその持ち方には二種類があり、一つは「疑うことなしに有ると思える」ことで、もう一つは「確かめる作業を通して有ると思えること」だと言う。前者は根拠を離れた確信であって積極的性質ものと言え、後者は一旦疑った上でそれを否定する形式をとる消極的性質のものと言える。

 岡は前者のわかり方が本当のわかり方であり、目標にすべきだと主張する。例えば人間関係においても、真に強く結びついている人々は疑ったり確かめたりしないで、根拠のない信頼の上に成り立っている。そのようなわかり方を目標にして努力するうちに、疑う必要のない確信が徐々に強さを増していく。それは確信への直観を磨くことであり、真善美にだんだん近づくものだと説いている。

 

『数学を志す人に』

 『数学を志す人に』(1963年、63才)では、「疑うことなしに有る」と思える直観的なわかり方が、数学の研究においても重要だと述べている。岡が中学生のころの体験で、試験時間のあいだ一生懸命に解答を確かめている時には決して誤りに気がつかないのに、試験が終わって教室を出た途端に、間違いに気づいたそうだ。こうしたことから、緊張が解けて心がよく澄んだときにだけ射すような知力の光があると言っている。

 後半では、戦中・戦後の世相について、「調和の精神なしに科学を発達させたことが誤りだった」と指摘し、科学技術の発達は実のところ人類にあまり利益をもたらしていないと主張している。こういう箇所も、自然科学者だったらむしろそうは思わないような考え方であり、興味深い。

 

『春宵十話』

 『春宵十話』(1963年、62才)では、上述の論点についてより包括的に持論を展開している。

 今の教育について、「早く育ちさえすれば何でもよい」と思って育てているのが実情であり、間違っていると指摘している。とくに、今の教育では思いやりの心の育成を省いており、十代二十代の子どもの情緒が損なわれていると警鐘を鳴らしている。

“成熟が早くなるということに対してもっと警戒せねばいけない。すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎるほうがよい。これが教育というものの根本原則だと思う。”

 数学(あるいは科学)の学び方については、確かさを信頼して一歩ずつ前進することが大切で、このような学び方ができるかどうかは、小手先の技術の問題ではなく、道義の問題だと言う。だから、ある程度「人間」が出来ていなければ何も学ぶことが出来ないと説いている。

 

『かぼちゃの生いたち』

 『かぼちゃの生いたち』(1964年、63才)では教育を論じている。教育をするためには人の発達の仕方を知らなくてはならず、それは未だ何一つとして分かっていないと断ったうえで、「道義」と「理想」の二つが重要だと言う。

 道義も馴染みがない言葉だが、他人の感情を理解し、他人の喜ぶことを行い、悲しませることをしないことを意味している。岡自身は祖父から道義を教えられた。それは端的には「人を先にし、自分を後にせよ」ということになる。また、岡の父は、岡を学者にするつもりで幼少から育てたので、お金の勘定を一切させなかったという。こうした子育ての結果、物質的欲望を全然持たず研究以外のことには無頓着な、岡の人格が形成されたと言える。

 また、岡は、人は「理想」があることでそれぞれが望む進路を自ら選択できるようになると言う。理想は真善美に向かう心の働きであるから、子供が理想を持てるように育てることが大切だと説いている。

 

『数学と大脳と赤ん坊』

 『数学と大脳と赤ん坊』(1964年、63才)もまた教育論だが、その一方で、西洋科学や現代文明への批判的な要素も含んでいる。岡は、科学を生んだ西洋文明は観念的に過ぎると言い、そこには「人」の存在が抜け落ちてしまっていると批判している。科学は実験や論理的推論によって自然法則を見出すものであり、その世界像からは人間が捨象されている。岡の言葉を引く。

“いったい、数学をするとか、教育をするとか、またされるとかいっても、人が数学をし、人が教育をし、またされるのである。これははっきりした生理現象である。(中略)しかし西洋の考え方はこの中から「人」を抜き、観念にたって議論しているにすぎない。”

 また、現代の科学文明では物質的には豊かになったが、そこには「人」が抜け落ちてしまった結果、ものの良さを味わう能力が退化していると言う。例えば、食べ物の味、風景の良さ、日本の良さといったことをしみじみと味わう能力のことを言っている。

最後に、現代の文明は「意思を中心とした文明」であり、力強いものが良いとされているが、そのような力の文明は野蛮だとし、その対極として考えられる「力によらない文明」に積極的な意義を認めている。

“戦争をしないことを平和だと思っているが、そんなものは形だけで内容がない。調和があるものをこそ平和というべきで、平和それ自体はそれなりの内容をもっているのである。”

 

『ロケットと女性と古都』

 『ロケットと女性と古都』(1964年、63才)では、ギリシャ時代を真善美や理想がわかっていた時代とし、対してローマ時代はこれらが失われて軍事や政治が重んじられた時代だと整理したうえで、現代世界がローマ時代に似通ってきていると警鐘を鳴らしている。

“ローマ時代の特徴は、一口にいうと真善美それ自体がわからなくなってきた時代である。ギリシャ時代は真善美がわかっていた。理想を大事にし、知性の実践をやってきた。知性の自主性のあるのはギリシャだけである。それに反してローマ時代に尊ばれ、重く見られたものは軍事と政治である。”

 次に、真善美へと向かう働きである情緒と、科学文明によってもたらされた物質的な利益を比較して、情緒の存在は確かだが、物質的利益の存在は不確かだと言っている。科学による物質的な利益に浴している現代人にとっては、「物質的に豊かになるのだから良いに決まっている」と思いがちだが、岡が言う「良い」とは真善美に向かうかどうかということだ。ここでも岡の言葉を引用しておく。

 “情緒というものは確かに存在する。しかしロケットを月に打ち込む、つまり人の頭の機械的な働きが功利的に利益をもたらすということは、実在するかどうかあやしい。利益は一応もたらしても、だからいいとはいいきれない。”

 

『日本的情緒』

 『日本的情緒』(1963年、63才)では、急速に壊れて失われつつある日本的な情緒の均整について書いている。

 岡は、日本において「善行」とは、少しも打算を伴わず、分別の入らない行為のことだと言う。なぜなら、全く私意私情から離れることができればそれだけ大自然の純粋直感のみが働くことになり、決して誤ることがないからだ。日本人にこうした直感が大変よく働くのは、日本人が共通して懐かしむことのできる悠久の歴史を共有していて、その中で前述の「日本的善行」を古来行ってきたために、極度に心が澄んでいて、一体的な紐帯で結びついているためだと説明している。

 この純粋直観(岡は仏教用語を用いて真智と呼んでいる)を曇らせる要因には二つあると言う。一つは、これも仏教用語を用いて邪知と呼んでいるが、自他を区別する先入見のことで、これがために人は自他の不公平に煩悶し、悪いのは自分ではなく他人だと思ったりする。もう一つは妄智と呼んでおり、これは疑いを持って確かめようとする心の働きである。得失に関する計算を行うことも含んでいるし、さらに岡は、数学における論理や計算も妄智の一種であるとして退けている。論理や計算は数学の本体ではないので、「論理や計算なしの数学がやってみたい」と面白いことを言っている。

 岡は、昔の日本人には実によく智力が働いたのであり、それは先に書いたように古くから「日本的善行」が行われたおかげでだんだん情緒が美しくなり、他の情緒もよく分かるように発達してきたためだと言う。そして、長い時間をかけて形成された日本的情緒こそ日本の国の中身そのものだと言っている。

 しかし、近年の教育の失敗によって日本的情緒は急速に消えつつある。教育の中に動物性(強い個体が良いという考え)や闘争性、残忍性が入りこんで悪さをしている。このような酷い教育を三十年も続けると国が滅びてしまうと警告している。

 

『物質主義は間違いである』

 『物質主義は間違いである』(1968年、67才)では、人がその中に暮らしている自然には、物質的な自然(時空間があってその中に自然があるとする、自然科学的な自然観)と生命現象的な自然、つまり人の心の中に存在する自然(岡は仏教的自然と呼んでいる)の二種類があると言い、生命現象的自然をより本当のものだと考えている。

 そして、科学では生命現象的自然を解明することはできない。なぜなら、科学が拠り所とする理性の働きは「一歩ずつ確かめてわかる性質」のものだが、生命現象は瞬間的にわかる性質のものだからだ。例えば、目を開けば一瞬で視覚に映るし、立ち上がろうと念じれば瞬時に体中の夥しい筋肉組織が統率して運動する。科学では、生命現象的自然(つまり人が実際にその中に住んでいる自然)のことは何も分からないことになる。岡は、物質的自然に対しても、科学で解明できるのはごく一部であると考えていて、科学への懐疑を表明している。

 

『宗教について』

 『宗教について』(1963年、62才)では、岡が宗門に入った動機を振り返り、宗教的世界にも理性的世界にも居場所を得られない自己を顧慮している。その理由は次に述べるとおりである。

 まず、理性的世界には自他の対立があり、理想や向上のある世界だが、その中で人は、生きるに生きられず、死ぬに死ねない悲しみにも直面する。そうした人の世のあじきなさ、さびしさから救われるために、人は宗教の世界に足を踏み込むのだと言う。

 対する宗教の世界には自他の対立がなく、安寧の世界であるが、そのために理想も向上もない世界である。そして岡は、半ばどっちつかずの気持ちが、両方の世界に留めおくのだと弁明している。

 

『六十年後の日本』

 『六十年後の日本』(1965年、64才)は、上に述べた『日本的情緒』の延長にある小品である。学生全員を試験得点というモノサシに乗せて扱うこと、その制度的現出である共通一次試験を批判し、六十年後の日本を憂いている。学力競争は間違っていると言っている。

 

『人とは何か』

 『人とは何か』(1969年、68才)は、このエッセイ集の末尾を飾る作品で、執筆年代としても後ろに位置する。岡の主張には共感する面も多いのだが、他方で馴染みの薄い仏教教説を援用し、真偽不明の生理学的見解を乱用しているために、一方的で読者を寄せ付けない印象を受ける。狂信的な印象と言ってもいい。岡の言わんとすることは、何もそんな高邁な教説を持ち出さなくても十分伝わるのではないかと思う。

 岡はまず、自然科学をもってしてわかるのは物質現象のことに限り、しかも極一部分に限るので、完全な無知と大して違わないと言い、仏教教説の優位を説いている。

 次に、「無私の心」が確かに存在することが説かれる。秋風が吹けば誰でも物悲しく思うことを例示して、人々の心には共通して影響を受ける一領域があり、それを「無私の心」と呼んでいる。

 その次に、無私の心と労働の関係が書かれる。労働には自ら作ることで得られる充足感(「自作自受」と呼んでいる)があり、それが百姓の農作や工場の組み立てなど様々な場面に見られると言う。さらに、学問や芸術活動も自作自受でなければ本当ではないと言う。

 最後の一文は、岡があるべきと考える教育の姿を具体的に示している。

“小、中学校で何よりも民族の詩としての日本歴史を教えなければなりません。また国語はこの国の濃まやかな人情を教えなければなりません。又千変万化する日本の美しい自然をよく心に反映することを教えなければなりません。”

 

3.終わりに

 いかがだったでしょうか。科学者でありながら科学を否定する。西洋文明を野蛮だとする。数学を研究していながら論理や計算を否定し、直観や情緒を重んじる。戦争には断固反対でありながら国粋主義的でもある(実際には全然矛盾ではないのですが)など、岡潔の思想には今日の常識からすると逆説的で興味深い視点がいくつもあることに気づくでしょう。私がここに岡の思想の一端を紹介したのは、これを旧弊な珍説として嘲るためではなく、むしろ現代社会の矛盾を鋭く衝いており、耳を傾けるべき言説だと思うからです。