カールの曲がった地平線

都内在住31歳の独身サラリーマンが、日々木工や読書、散歩などを楽しみつつ、いつか脱サラして小屋暮らしや旅暮らしをすることを夢見るブログ

木でベッドを作る~その1~

いきさつ

来年引っ越しをしようと企図しています。このアパートには丸3年住んだことになります。引っ越しをする理由は色々とありますが、一番の理由はカビが生えやすいことですねー。何もしていないのに、壁や台所にカビが生えてくるんです。それだけならまだしも、手の届かない押入れの上の方にまでカビが生えます。掃除しようにも届かないので、発見した瞬間に、そこは「開かずの間」として認定されました。建設されたのがだいぶ昔ですし、1階ということもありジメジメしているんでしょうか…。


それはさておき、引っ越し先では素敵なニューライフを送りたいです。ということで、素敵な新生活にあったらいいものを考えたところ、ベッドがほしいということになりました。今までずっと敷布団生活だったんですねぇ~。なんと通算13年間にも及ぶ敷布団生活に、ついにピリオドを打ち込んでやります。ベッドがあると、下の空間に収納できるし、座れるし、布団を広げておけるし、いいですね。

ベッドのイメージ図

さて、買ってまで欲しくはないので、木でベッドを自作します。今回も、今後の使用や引っ越しの容易さのために、作成にあたっては以下の要件を設定します。

  • 分解できる
  • 釘など金属は一切使わない
  • 安全


これらを勘案して描いたイメージ図が以下になります。
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具体的なサイズはまだ決めていません(布団のサイズに合うように設定します)が、材料はツーバイ材にしようと決めています。なんたって安いし、作るのが簡単になりますから。ツーバイ材は、2×4材か、2×6材か迷いますが、2×4材で崩れそうな気がしたら2×6材にしようと思います。ベッドは、人ひとりやふたりが丸ごと上に乗るわけですから、しなったり折れたりしないように、十分配慮する必要があります。


分解できて、釘などを使わないにもかかわらず、安定したものとするために、工夫をしました。まず、基礎となるのは頭上と足元の柵状のパーツ(図の水色、黄色のパーツからなる四角形)です。グラつかないように四角形にしました。そして、二つの四角形をつなぐように、梁が渡っています(赤色のパーツ)。黄色、赤のパーツは、端がかぎ爪のようにカットされており、これが引っかかって動かないようになっています。


次回は重量計算をしてみて、どのツーバイ材を使えば安全なのかを考えてみたいと思います。

伊豆旅行(2日目)~踊り子歩道~

5時半起床。外はすでに昼間のような明るさなので驚いた。身支度をして7時前に出発。
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伊豆仁田駅。7:20修善寺行きの列車に乗った。土曜だったけれど、乗客の半数以上が高校生だった。部活おつかれさま。修善寺から東海バスに揺られること30分、浄蓮の滝に着いた。8:20だった。
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滝の入り口に伊豆の踊子銅像があった。
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2、30mから豪快に落下している滝は、ふたたび穏やかな流れとなり、青々としたワサビを育んでいる。
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さて、浄蓮の滝から湯ケ野まで、約20kmにわたって「踊り子歩道」が続いている。今日は一日かけて視点から終点まで歩く。
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巨木の中の薄暗い道を歩いていく。薄暗いので草木はあまり茂っておらず、巨木由来の落ち葉や小枝が地面を覆っていて、ふかふかとしている。砂利や小岩で、所々ごつごつともしていたが、総じてとても歩きやすい山道だ。
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周りにはいつも何かしらの小川や水路があり、水音が耳に心地よい。水はまるで空気のようで、底まで見透かせるほどに透明だった。
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10km程歩き、旧天城トンネルが近くなった。川端康成の文学碑があり、「道がつづら折りになって…」という伊豆の踊子の冒頭が彫刻されていた。一文が長いのに、分かりやすく、想像しやすいところを考えると、名文に思える。空が近くなりもうすぐ山越えだ、というときに遠くにトンネルが出現した。
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トンネルは古めかしい。穴は馬蹄のような独特の曲線形をしており、奥からは、どうしてか冷やりとした空気が流出していた。汗が嘘のようにひき、濡れたシャツに身震いした。
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トンネルの中には簡素なランプが左右交互につるされており、暗い。
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トンネルを抜けて少し歩くと、二階滝がある。段々になって落ちているため、二階。距離があったので一段しか見えなかった。こちらでは滝と書いて「ダル」と読むらしい。
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さらに歩くこと30分。平滑の滝に着いた。川全体が、途中から一斉にずれ落ち込んだような滝だ。すぐ近くに座って、滝を眺めながら、お菓子とウイスキーで休憩した。
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ここから1時間程で河津七滝に到着した。溶岩が冷え固まってできた柱状節理の奇妙な六角柱の岩の中を流れる7つの滝から成る。滝は、長い間に岩を削り取り、その中を縫って滑るように、ときに激しい勢いとなって流れている。滝を眺めていると、無意識に長大な時間の流れに思いをはせずにはいられない。


僕が一番好きなのは猿田淵だ。大きな盥のような岩の中に、広く深く、膨大な体積の水が蓄えられており、青碧色に澄んでいる。日本神話の猿田彦の命が伊豆を旅した際に、この淵でヤマメを釣り上げたことから、地元民がこの名をつけたと伝えられている。
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河津七滝を過ぎると、住宅街を歩いていくので、喬木が少なく、直射日光があたりとても暑い。そのせいか全身に疲労感が広がった。そしてついに踊り子歩道の終着点、福田家前に15時半に着いた。
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湯ケ野温泉は、伊豆の踊子で主人公一行が宿泊した場所の一つであり、福田家は主人公が泊まった宿だ。福田家の前に河津川が流れており、川を挟んだ福田屋の斜向かいが、踊り子が裸で飛び出したといわれる温泉があった場所だとのこと。今は公衆浴場となっている。
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福田家で温泉に入った。小説に出てくるのはカヤ風呂だそうだが、あいにく女性の使用時間とのことで、やむなくもう一つの露天に入った。700円でとてもゆったりとできた。


福田家の応接間に色々と展示があった。伊豆の踊子の映画の台本など。映画は家に帰ってから観たいと思った。それから、太宰治もこの旅館に泊まったらしい。ここで東京八景が書かれたことを知り、ずっと富士か東京でだと思っていたので、意外だった。


湯ケ野からバスで河津駅まで出て、伊豆急行で下田へ行った。ちなみに、福田家の番頭のおじさんによると、下田へは湯ケ野から旧下田街道を歩いて2時間で行けるらしい。
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下田の市街は、韮山伊豆仁田と比べると大分栄えていて、人が多い。
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今晩は結局道の駅「開国下田みなと」のベンチで寝ることにした。草むらを避けたが、それでも蚊が多かった。22時就寝。

伊豆旅行(1日目)~三島大社、韮山反射炉、長岡温泉郷~

6月に3日間で伊豆を旅行してきました。伊豆といえば、天城山脈を中心とした山々の豊かな緑と水、新鮮な魚介、そして温泉といった、英気を養うのに必要な要素はみんな揃っている、日本有数の観光地です。


伊豆といえば、やはり川端康成の『伊豆の踊子』が思い浮かびます。僕は概して川端は作品が抽象的に思えて好きではないのですが、伊豆の踊子や雪国はその中でも分かりやすい部類なので共感できます。

旅程

  • 1日目…三島、韮山
  • 2日目…踊り子歩道
  • 3日目…下田

ということで、伊豆の踊子をメインテーマとして出発します。

1日目

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まず三島にやってきた。三島は富士の麓にある町で、地下にしみ込んだ富士の融水が、市街のいたるところから湧き出している。
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湧水は清く透き通った流れとなって、街中に張り巡らされた水路を、心地よい音をたてながら流れていく。
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水路沿いに歩いて三島大社にやってきました。
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立派な造りの三島大社。境内には樹齢1200年と伝えられる金木犀が生えていました。
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三島大社の正門から出て、伊豆急行三島田町駅にやってきた。ここから電車で韮山へ向かいます。韮山反射炉は一駅先の伊豆長岡駅の方が近いとのことなので、そちらで下車。
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伊豆長岡駅から反射炉まえは約1.6kmの道のり。のどかな田園風景の背景には、いびつだが丸みのある山々が見えた。
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反射炉は160年ほど昔に完成したもので、鉄を溶かして大砲や砲弾を鋳造するための4基の炉と、鉄を流し込むための方形の鋳台があった。のちに反射炉の所有者となった江川氏は、東京の台場を築いた人物らしい。この4m四方の鋳台の地下には、900本もの松杭が隙間もなく打ち込まれているため、地震に強いそうだ。
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反射炉の横には古川が流れており、反射炉の稼働力源として使用した水車の設置跡が残っている。
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反射炉を後にして江川邸へ向かう。案内板に従って歩くこと2.3km。途中山の中を通り、正しい道かどうか疑ってしまった。高低もあった。そのため韮山市街が一望できたのはよかったが、40分もかかってしまい、江川邸に着いた頃にはその日の公開が終了していた。
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仕方なく韮山駅へ戻ったが、これがまた距離があった。今日はたまたま平日だったのですが、休日は反射炉、江川邸、駅を周遊するバスが出ていると観光案内所の人が教えてくれた。平日はアクセスがとても悪いことに留意しましょう。


再び伊豆急に乗り、伊豆長岡駅へ。駅から出てすぐの狩野川を渡ると、伊豆長岡温泉郷だ。一日の汗を流したい。ところが、どうも高級旅館ばかりが目につく。九州にあるような200円くらいで浸かれる温泉を期待していたのだが、そんなものはなさそうだった。地図に南公衆浴場を見つけて行ってみた。
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310円で浸かれてよかったが、浴場は趣はなかった。街中の地下にパイプが張り巡らされており、自治体から源泉を購入できるとのこと。


これは勝手な想像だが、自治体が温泉のサービスを行えば、住民は自宅で温泉に浸かれるようになるのだから、公衆浴場に行く必要がなくなる。そうなると温泉郷としては観光客を中心に受け入れるようにする他ない。すると、入湯料金は高騰し、高級旅館街が出来上がる。因果関係はこうではないだろうけど、少なくとも無関係ではないと思った。


温泉に浸かると足が軽くなった。日は暮れて辺りは真っ暗だ。虫や蛙の鳴き声が聞こえる。ここで、再び反射炉まで歩く。というのも、古川でホタルが見られるからだ。

ホタルは、一度に視界に入るのは多くて5匹程度で、あまり多くはなかった。5月末が多かったらしい。「私が子供だった頃は、辺り一面ホタルで、夜なのに明るいほどだったんだけどねぇ」と老婆の声が聞こえた。


ホタルの、のんびりとした飛行を追いながら、緩やかな点滅を眺めていると、無性に物悲しい気持ちになって、気持ちよくブラックニッカが体内を循環した。


伊豆急伊豆仁田駅へ移動した。着いたのは22時だった。国道(下田街道)沿いに田舎らしく大型店舗が集まっている。その辺りの漫画喫茶に泊まった。フラットシートに横になると、すぐに寝入ってしまった。

マックス・ヴェーバーの『プロ倫』が出てくる雑記

最近同じ職場に、面白いなと思う人がいる。その人は社会哲学が好きで、空き時間や飲み会の後で、マックス・ヴェーバーについて熱く語る。話しながら浮かべる目尻の皺がその幸福感を物語る。会社に勤めながら学術的な探求心を持っている人は稀だから、こういう人は興味深い。貴重だ。僕はとても好きなタイプの人間だ。


その人はマックス・ヴェーバーを仕事上も必要だと考えている。例えば、マックス・ヴェーバーの論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、「プロテスタントの禁欲的な精神態度が資本主義の成立に寄与した」ということが精緻な議論によって論証されるようだが、これを基礎として、社会(企業)の発展においてある種の禁欲が必要であるとし、過剰な欲深さを抑制するような企業ルールを策定しようとしている。


ところで、会社の仕事は大抵が個別の状況に対して臨機応変に対処するものであり、しばしば泥臭さや力技な面がある。普遍性を探求する哲学とは相いれないところがある。また、会社の意思決定では時に客観的な事実よりも、説明の仕方や経営側のスタンスというものが大事になってくる。


このようなことから考えると、マックス・ヴェーバーを業務に応用する試みは失敗に終わるだろうと僕は思う。しかしこう考えても、この人に感じる魅力が減るものではない。


僕はそれまでヴェーバーもプロ倫も知らなかったのだが、話を聞いているうちに、少し興味が出てきた。この人が熱を入れている『プロ倫』とは一体どんなものなのか?

マックス・ヴェーバーの『プロ倫』

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
世界的に有名な論文だけあって、論旨を説明しているサイトが多数ある。Wikipediaにも要旨が載っており、これだけを読んでも大まかに内容を把握することができる。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 - Wikipedia

デカルトの『方法序説』の怪しさ

プロ倫をいきなり読み始めるのは危険に感じる。それは、読むに足りる背景や知識がないということもあるが、哲学について感じる怪しさもある。この怪しさを『方法序説』を例にして説明したい。
方法序説 (岩波文庫)

まず断わっておくが、僕は『方法序説』は名著だと思っている。それは、前半部分において、デカルトが哲学的な問いを考え始めるまでの経緯や、問題を解決するために考えだした原理、そして「全てが不確か」だと仮定しつつも当座の行動に支障が出ないようにと定めた行動原理などが書かれており、これが大変面白く、参考になるからだ。


では、『方法序説』に感じる怪しさは何かというと、それは後半部分にある。後半では、前半に述べた問題解決方法を、各種の問題に適用していく。そこで有名な「我考える、ゆえに我あり」が登場する。デカルトは、これを疑いのない事実(前提)として、推論を重ね、最終的に神の存在を導くのである。「自分が考えている状態にある」ことと「神が存在する」ことは無関係に思えるので、全体として見ると奇妙な結論となっている気がする。せっかく素晴らしい原理を導入しているのに、その応用結果がおかしいので、とてももったいない。


こういえないだろうか。仮に一つ一つが精緻な推論に思えるとしても、推論を重ねていくうちにそれぞれの誤差が積み重なり、最終的には誤った推論となりえる、と。ちょうど、帳簿において、各項目の金額を一つ一つ足していく際に、どこかでミスが発生するようなものだ。


一方で、計算の仕方には少なくとももう一種類ある。つまり、総合計をざっくりと推測することだ。例えば、前月から今月にかけて、総合計が増大したか減少したかくらいは、大まかな情報から分かるかもしれない。個別に足したものがこれと逆の動きならば、どこかで計算が間違っている可能性が高い。


教訓的にまとめると、個々の推論だけでなく、全体としての整合性を考えることが大切だといえる。

魔窟へ入る前に

全体的な視点を失わないために、ざっくりとした質問を考えてみました。

  • プロテスタンティズムのいかなる性質が、資本主義を生む要因となったのか。
  • 同じ性質を持つ他の宗教においても、同様に資本主義を生むと言えるのか。
  • 資本主義発生の要因を追究することに、どのような意味があるのか。
  • 資本主義発生の要因はこれだけか?他にも様々な要因があるとするならば、議論で扱われる要因は主要因と言えるのか。
  • プロテスタンティズムの精神を失った資本主義は、どこへ向かっていくと著者は考えているのか。
  • ニヒツ(無の者)であったとして、どのような問題があるのか。鉄の檻に入ったからといって、どのような問題があるのか。
  • 著者は、今後のあるべき姿をどのようなものとして思い描いているのか。
  • 現在の状況について、役立つ示唆が得られるか。


(最後に:飽きっぽいので、読まない可能性が高いと思います。実際、Wikipediaでも十分な気がします)

ロシアの観光ビザを個人取得しました

夏休みにロシアを旅行しようと思っています。普通の日本人が観光でロシアに入国するためにはビザが必要です。旅行代理店を使えばビザについても取得してもらえると思いますが、僕の場合は個人旅行なので、ビザを自分で取得する必要がありました。


ビザを個人で取得する方法については、既にインターネット上に多くの情報があります。しかし、それでも実際にビザを取得するまでには何点か不安な点がありましたので、そこに留意して書きたいと思います。

ロシア観光ビザの申請のための必要書類概要

在日ロシア連邦大使館のHP(http://www.russia-emb.jp/japanese/consular/service/)に申請書類や申請方法等が記載されています。


以下に申請書類を簡潔に記載しますが、日本人が観光でロシアを訪れる場合のビザ申請については

  • パスポート
  • 写真1枚
  • 電子査証申請書
  • 旅行会社が発行する旅行確認書
  • 旅行会社が発行するバウチャーのコピー

が必要です。


上記申請書類について以下で見ていきましょう。

電子査証申請書

当該HP内に入力フォーマットへのリンクがありあます。ガイダンスに沿って入力していくと、最終的にpdfが作成されます。無料で何回でも作成できます。注意点としては、(僕の環境が悪かっただけかもしれませんが、)途中保存機能が使えなかったことです。保存したつもりが、再度開こうとすると「そんなファイルねぇ」となるので、せっかく入力した内容が一から入力し直しになります。これはどうしようもありませんが、最後まで思い切って作成してしまうのが無難かと思います。


電子査証申請書の準備については特別大きな問題はないと思います。

旅行会社が発行する旅行確認書

確認書は、ロシア連邦観光省による登録(旅行リファレンス番号)のある受入れ先の情報が記載される書類で、受入れ先の責任者の署名および社印がなければなりません。
(在日ロシア連邦大使館HPより)

個人旅行者にとっては、そもそも旅行会社のプランを使っていないので、普通に考えるとこの書類を入手するのは困難に思われます。しかし、実際には様々な(?)旅行会社がインターネット上で、代金と引き換えに旅行確認書を発行するサービスを行っていますので、そのようなサービスを利用して入手しました。


僕はググるとすぐに出てくる(他の体験サイトでもよく出てくる)「Alliance Travel Company」という旅行会社のTravelRussia.suというサイト(http://www.travelrussia.su/en/visa.tourist.php)を使い、"tourist invitation to Russia"(ロシアへの招待状)を発行しました。


ガイダンスに沿って記入を行い、カード決済により支払いを済ませると、pdfへのリンクが登録したメールアドレス宛に届きます。発行料は699ルーブル、日本円に換算して約1200円でした。


ところで、ここで不安なことがおきました。上記サイトでフォーマットに入力する際に、宿泊地を細かく記載しすぎたために、出来上がったPDFを見ると、フォーマットから記載が大きくはみ出しており、他の質問項目を侵食していました。


果たしてこれで受け付けてくれるのだろうか…。TravelRussia.suにメールを出して修正をお願いするか、もう一度お金を払って作り直すか、真剣に悩んでしまいました。結果的には、フォームからはみ出しは特段何も言われずに受理してもらえました。

旅行会社が発行するバウチャーのコピー

バウチャーには下記の情報がなければなりません:
・旅行者のデータ(氏名、生年月日、パスポート番号)
・ロシア入国日および出国日
・観光ルート、移動手段、宿泊場所、観光プログラム
・旅行会社の署名と印
・支払済み証明
・ロシアの受入れ旅行会社名とその旅行レファレンス番号
(在日ロシア連邦大使館HPより)

これも入手が難しそうですが、「TravelRussia.suのサイトで取得したtourist invitationは、バウチャーも兼ねている」というネット上の情報を信じて、特段準備しませんでした。


確かにtourist invitationを見ると、これらの項目は漏れなく記載されています。


僕の場合、宿泊施設や移動手段が確定していたので、万が一、宿泊地や移動手段を詳しく聞かれた場合に説明できるよう、これらの予約完了を証明する書類を準備していきましたが、実際のところ全く不要でした。

まとめ

僕が申請するにあたって必要だったのは次の書類です。

  • パスポート
  • 写真1枚
  • 電子査証申請書(上の写真を貼る)
  • TravelRussia.suで発行したtourist invitation

東京のロシア大使館の営業時間、混雑具合など

ビザ申請と受け取りは午前中(9時30分~12時30分)のみです。土・日とロシアの祝日は休館ですが、日本の祝日は開館しているみたいです。


私は2016年8月11日(山の日)に申請に行きました。9時50分頃到着したのですがガラガラでした。申請自体は5分くらいで終わりました。最後に「受け取りはいつになさいますか?」とカタコトの日本語で聞かれるので、希望の受取日を伝えましょう。僕はあまり考えず「二週間後でお願いします」と伝えました。


ビザの発行料は、申請してから受け取るまでの日数に依存しており、11営業日以降であれば無料となっています。二週間後と11営業日は正確には一致しないかもしれませんが、ネットで情報収集していた際によく目にした「二週間後」が頭に残っていて、ついつい口から出てしまったというわけです。


そして、本日8月25日に無事に受け取ることができました。10時20分頃到着したところ7人待ちでした。窓口の数は少ないものの、捌く速度は普通(特別遅いということはない)なので、25分程で僕の順番が回ってきました。

最後に

既存の情報なので目新しさはないですが、2016年8月時点で有効だということで、ご参考になれば幸いです。

(追記)行ってきました

ラトビアエストニア・ロシアに行ってきました。
ものすごく楽しかったです!
はじめは色々とトラブルに見舞われましたが、最後は「いい旅だった!」という気持ちで帰ってくることができました。
hikaroon.hateblo.jp