2016/10/29 土曜日 曇り
今日から三連休で長野を旅行する。一日目は松本市内を観光し、二日目は立山黒部アルペンルートを通り富山へと抜ける。そのまま北陸新幹線で長野へと舞い戻り、最終日は長野市周辺を観光する。こんなプランだ。
やってきたのはバスタ新宿。南口から高島屋の間は長らく工事中だったが、ふと気がついてみるとバスターミナルが完成していたので、まるで一晩の間に突如現れたかのような驚きを感じてしまった。
8:55分、松本行きのバスに乗車。料金は3500円。
松本到着
バスに乗ること4時間。渋滞のため一時間遅れで松本駅前に到着した。繁華街のような公園通りを直進すると、「牛つなぎ石」のあたりに出た。
上杉謙信が武田信玄に塩を送った際に、それを運搬していた牛をつないだ石らしい。黒くて、触るとスベスベとしていた。
千歳橋を渡ると、女鳥羽川に沿ってナワテ通りが続いており、古めかしい店構えの土産屋が並んでいる。
もっとも、古めかしいだけで造りは最近のもののように見えた。売り物も観光の記念品のような品々ばかりであまり興味を引かれなかった。
ナワテ通りの途中に四柱神社がある。鳥居をくぐり、丸橋を渡り境内に入ると、赤く色づいた楓が植わっており、人々が写真撮影をしていた。
松本城
ナワテ通りを後にして、大名通りを歩くこと5分ほどで松本城の入り口に到着した。
まずは堀沿いに歩いて城を眺める。城はコの字型の堀の角に突き出すように建造されており、堀を歩くにしたがって徐々に容貌を変えていく様子に夢中になった。
城は真っ黒に塗られており(それで「烏城」の異名があるとのことだ)、石垣との接続部分には斜めにせり出した「石落とし」が目立つ。頂点に見える唐破風、しゃちほこが立派だ。
僕はそこまで城に興味があるわけではないけれども、眺めているとなんともいえない満足感があり充足した。
さて、城内に入る前に、復元された太鼓門を見た。門を支える丸太の太さに驚いた。一の門と二の門の間は枡形と呼ばれる四方を囲まれた空間になっており、その目立つところに、二人分の高さはありそうな巨大な「玄蕃石」が配されている。
火災で焼失した本丸跡を抜けて、天守閣に入る。
大体どこの城でもそうだろうが、当時の装飾や家具などはあまり残っていない。それでも、急な木の梯子を上って上へ上へと最上階を目指して上っていくのは楽しいものだ。
明治になると、西欧文化がもてはやされ、古来の日本文化は時代遅れだと否定された。それで無数の社寺や城が無価値なものとして取り壊され、タダ同然の価格で売り飛ばされた。松本城も危機に瀕していたが、寸でのところで難を逃れたということだ。
城は日本の文化を代表するものだから、今となっては無くてはならないものだ。現状よりも破壊が行き過ぎていなくてよかったと安堵した。当時の天守閣を残している城は全国に僅か12しかないとのこと。
明治のこの失敗は今にも通じるものがある。「今のものは間違っているから終わりにして、新しいものを始めなくてはならない!」という急進的な考え方には十分注意しなくてはいけない。改革とか、抜本的な見直しが必要とかの思想には、よく疑ってかからないといけない。
松本城ではとくに木材に感動した。松本城に限らず日本の城は木材で組み立てられているわけだが、木材でこんなにも巨大なものが作れるのか!と感嘆した。極太な木材を組み合わせ、柱を垂直に継ぎ足していく、その苦労の後が残っているような気がして、柱を食い入るように見回した。